齊藤康典教授は平成27年(2015年)12月29日にガンのためご永眠されました。
享年65歳でした。謹んで齊藤先生のご冥福をお祈り致します。
齊藤先生は、昭和25年のお生まれでご出身は岐阜県です。岐阜高等学校をご卒業後、名古屋大学理学部に入学されました。名古屋大学ご卒業後は1年近く総理府技官として旧科学技術庁に務められましたが、その後、筑波大学の前身である東京教育大学の大学院に入学され、研究の道を歩みはじめることとなりました。下田では渡邊浩先生(筑波大学名誉教授)に師事し、下田臨海実験センターを代表する研究である群体ボヤの自己非自己認識に関する研究を進めてこられました。理学博士の学位を取得された後、群体ボヤを用いた免疫研究の第1人者であるスタンフォード大学のワイズマン博士のところで2年間ご研究をされました。1986年にはアメリカ癌協会フェローシップを受賞されています。その後、下田臨海実験センターの講師になられ、群体ボヤの同種異個体識別(allorecognition)機構の研究を続けられました。下田周辺は群体ボヤの多様性が高く、先生は多くの新種も発見されました。群体ボヤ以外にも、カイメン、コケムシ、ギボシムシ、ヒラムシなど多くの無脊椎動物を研究の対象とされ、発生、多細胞化、免疫機構の起源などを研究されました。海綿のご研究では、一昨年の日本動物学会ZS論文賞を受賞されています。
齊藤先生は温厚で誠実なお人柄で、多くの方から好かれ、また共同研究で多くの方が先生の研究室を訪れました。教育ではアガシーが残した”Study Nature not Books!!”を座右の銘とされ、「まずは自然を自ら学ぶ」ことを実践されてきました。学生の指導においては学生本人が自らテーマを探してくることが基本でした。その姿勢は多くのお弟子さんに引き継がれています。これは今後も下田センターが継承すべき大切な姿勢です。また、齊藤先生は日本酒がことのほかお好きでした。お酒を飲みながら、同僚や学生、下田のご友人などど楽しく会話されていた姿が思い出されます。地元では卓球クラブに所属し、卓球の腕前はかなりのものでした。
齊藤先生は学生時代を含めると30年以上にわたり下田臨海実験センターでご研究を続けられました。下田をこよなく愛された先生でした。齊藤先生のこれまでのセンターへの貢献に深く感謝し敬意を表するとともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(センターを代表して。稲葉一男)
齊藤康典先生 ご略歴
生年月日:昭和25年9月12日(岐阜県)
昭和44年 3月 |
岐阜県立岐阜高等学校卒業 |
昭和44年 4月 |
名古屋大学理学部入学 |
昭和48年 3月 |
同学部生物学科卒業 |
昭和48年 4月 〜 昭和49年 1月 |
総理府技官 (科学技術庁計画局ライフサイエンス企画室勤務) |
昭和49年 4月 |
東京教育大学大学院理学研究科修士課程入学(動物学専攻) |
昭和51年 3月 |
同課程修了 |
昭和51年 4月 |
筑波大学大学院生物科学研究科博士課程編入学 (生物学専攻) |
昭和56年 3月 |
同課程単位修得退学 |
昭和56年 3月 |
理学博士取得(筑波大学大学院生物科学研究科) |
昭和56年 4月 〜 昭和58年 3月 |
日本学術振興会奨励研究員(筑波大学) |
昭和58年 4月 〜 昭和60年 3月 |
筑波大学大学院研究生(生物科学研究科) |
昭和60年 4月 〜 昭和62年 3月 |
スタンフォード大学医学部研究員 (同大学付属ホプキンス臨海実験所勤務) |
昭和62年 4月 〜 平成16年10月 |
筑波大学生物科学系講師 |
平成16年11月 〜 平成25年 6月 |
筑波大学生命環境系准教授 |
平成25年 7月 〜 平成27年12月 |
筑波大学生命環境系教授 |
1段目 左:昭和50年頃 右:2010年一般公開
2段目 左:2010年第三研究棟落成式 中:2010年送別会 右:2009年動物学会
3段目 左:2005年忘年会 右:2011年送別会
斎藤先生の研究や発表論文などはこちらをご覧ください。
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