精子の生物学RESEARCH

主な研究テーマ

○精子活性化と走化性の分子シグナリング

○プロテオミクスを用いたホヤ精子鞭毛の分子構成とシグナル伝達機構

○リン酸化とカルシウムによる精子機能の調節

○精子活性化シグナリングにおける脂質ラフトの役割

○精子細胞膜の分子解析と精子-卵認識機構

○魚類精子運動開始機構の進化と受精環境

○多様な海産生物を用いた比較精子学

○生殖-神経-免疫の進化的考察


精子の運動と受精について(概説)

精子の使命は、雄の遺伝情報の伝達です。卵と精子が出会い受精するには、卵を求めて精子が運動することが必要で す。個体を離れ、個体の外で使命を果たす細胞は精子のみです。つまり精子は、体内の環境とは異なる厳しい環境にさらされ、その中を突き進んで行かなくては なりません。精子はこの環境の変化を巧みに利用し、運動性の調節に用いています。
精子の運動は、尾部(鞭毛)にある運動装置である軸糸によって起こります。軸糸内で分子モーター「ダイ ニン」が微小管の滑り運動を起こし、それが鞭毛の波打ち運動に変換されます。受精の際には、精子はその周りのさまざま外部因子を受け取り、それをもとにダ イニンの活性調節を行なっています。
一般に精子というと、頭としっぽからなる極めて小さい細胞を思い浮かべると思います。実際に、こうした 形態をとるものが多いですが、様々な生物を見渡すと、鞭毛を持たずアメーバ運動により卵にたどり着くもの、卵に突き刺さり破裂して核を送り込むもの、複数 の鞭毛をもつもの、二種類の精子(異形精子)が存在するものなど、実に多彩です。生物特有のさまざまな受精環境で生殖を可能にした結果、精子は機能的にも 形態的にも多様化しました。
鞭毛をもつ精子の運動は、精子形成後から受精に至るまで、さまざまな調節を受けます。鞭毛の運動装置は、波打ち運動を可能にし、精子は水溶液中で効率よく進むことができます。

精子の構造
精子の構造は、大きく分けて頭部、中片部、尾部に分けられます。頭としっぽをもつ精子でも、硬骨魚類の ように先体を欠くもの、ホヤのようにミトコンドリアが核の横、つまり頭部に含まれるもの、ホ乳類の様に中片部にミトコンドリアと周辺束繊維、繊維鞘といっ た特殊な構造があるものなど、それらの形態は多様です。頭部は先体と核からなりますが、核の大きさや形態はさまざまです。ただし、ユウレイボヤやクサフグ など、ゲノムサイズの小さな生物の精子の核は小さい。傾向にあります。

鞭毛の構造
鞭毛は中央に運動装置である軸糸(axoneme)があり、その周りを細胞膜が取り囲む構造です。生物によっては、ホ乳類のようにミトコンドリア、周辺束繊維(outer dense fiber)や繊維鞘(fibrous sheath)が軸糸の周りに存在するもの、軸糸と細胞膜の間にこれらをつなぎ止める構造があるもの、特殊な顆粒構造をもつものなど様々です。また、軸糸 の構造も、多くは9+2構造ですが、中心対を欠く9+0構造や、周辺ダブレット微小管のさらに外側に9本の微小管が存在する9+9+2構造など、生物種を 見渡すと多少のバラエティーがあります。軸糸は、精子形成の後期、精細胞から中心体の相似器官である基底体から形成されます。基底体は9本のトリプレット 微小管のペアからできており、それぞれ近位中心体(proximal centriole; PC)、遠位中心子(distal centriole; DC)と呼ばれています。軸糸は遠位中心子から遷移構造をへて形成されます。ただし、ホヤの精子のように、中心子の一方を欠き、遠位中心子のみを含む場合 や、ラット、マウスの精子のように中心子を両方欠いている場合もあります。軸糸の成分は、原生生物の鞭毛・繊毛や後生生物の繊毛では、キネシン、ダイニン による鞭毛内輸送(intraflagellar transport, IFT)により先端に輸送され、軸糸が形成されますが、精子ではIFT非依存的であるとの報告もあり、まだ結論されていません。

軸糸の構造と構成成分
軸糸は電子顕微鏡で観察される美しく特徴的な構造です。その記載はたいへん古く、1950年代前半まで には軸糸が9+2本の繊維構造であることが明らかにされています。実際に軸糸の構造を正確に記載したのは、Afzelius(1959)で、彼は改良され た電子顕微鏡技術を用いて、彼はウニ精子鞭毛断面の微細構造をはじめて観察しました。彼は9+2構造を記載するとともに、周辺繊維(ダブレット微小管)構 造とそれに付属する“(arm)”の構造まで記載しています。微小管の骨格成分と腕の本体である分子モーターは、ともに1960年代に発見されました。骨格成分は微小管であるが、これはチューブリン(tubulin、毛利秀雄命名、1968年)が重合してできた管上状の構造です。モーター分子はテトラヒメナの繊毛から単離され、力を発生するタンパク質という意味で、ダイニン(dynein) と名付けられました(Ian R. Gibbons命名、1965年)。微小管をレールとして力を発生する分子モーターには、ダイニンの他にキネシンが存在しますが。微小管はチューブリンの 重合速度の大きい方をプラス端、逆をマイナス端と呼びます。精子鞭毛の場合は、鞭毛の根本側がマイナス端、先端側がプラス端となります。ダイニンは自ら微 小管のマイナス方向に動くモーター(minus-ended motor)であるのに対し、キネシンはその逆(plus-ended motor)です。分子の大きさや力発生のメカニズムは両者で大きく異なると考えられています。
 9+2構造の軸糸は、中央に2本のシングレット微小管、外側に9本のダブレット微小管から構成されま す。中心対小管どうしは中心架橋で結ばれており、各小管からは中心対突起が伸びています。各ダブレット微小管はA小管とB小管からできており、A小管から にはとなりの微小管に伸びている2つの突起があります。これらは外側のものを外腕(outer arm)、内側のものを内腕(inner arm)とよび、ともに分子モーターであるダイニンからできています。外腕は24 nm周期でダブレット微小管に結合しており、二頭構造をとる単一の分子種であると考えられているのに対し、内腕は二頭および単頭構造のものが複数種類存在します。
 軸糸に存在するダイニンは、軸糸ダイニン(axonemal dynein)と呼ばれ、10種類以上のサブユニットから構成されています。それらは、分子量により、重鎖、中間鎖、軽鎖と分類されます。精子鞭毛の外腕 ダイニンは2種類の重鎖からなり、これに3〜5種類の中間鎖、6種類の軽鎖が結合しています。2種類の重鎖は、モーター活性が異なっています。それらが運 動にどのような役割を果たしているのかは明らかではありませんが、主に力発生に関与するものと、そのブレーキ(制御)になるものが役割分担して調節してい ると思われます。重鎖は、約5,000のアミノ酸からなる巨大なタンパク質で、その一次構造は1991年に小川和男、Gibbonsのグループにより、ウ ニ外腕ダイニンについて同時に発表されました。重鎖は、6つのAAA(ATPase associated with various cellular activities、トリプルA)ドメインをもち、AAA スーパーファミリーATPaseに属します。分子構造は、N末端のコイルドコイル構造に富むステム(stem)の部分と、6つのAAAドメインとC末端ド メインの合計7つの球状ドメインがドーナツ状につながった頭部、そしてAAA4とAAA5の間から隣の微小管に伸びているコイルドコイル構造(ストーク、 stalk)から成り立っています。Stemには、中間鎖など他のサブユニットが結合し、複数のダイニン重鎖のアセンブリに関与する領域が存在します。ダ イニンによる力発生に関しては、ATP分解により生じたダイニンの構造変化がストークの位置あるいは張力の変化につながり、微小管を滑らせる力が発生する と考えられています。真行寺、上村、神谷、高橋らの研究から、ダイニンは1pNから6pNの力を出し、自らの力発生をフィードバックし振動するモーターで あることが示されています。
 中間鎖や軽鎖は2種類の重鎖を集合させ、外腕ダイニンをA小管に結合するのに機能しています。また、中 間鎖や軽鎖のいくつかは、ダイニンの活性調節に関与することが知られています。これは特に精子の運動制御において重要です。なお、外腕ダイニンは微小管上 に24 nm周期で結合していますが、周期的な結合には、ダイニンドッキング複合体(dynein docking comples, DC)が関与しています。この複合体は最初はクラミドモナスの鞭毛において発見されましたが、同様のタンパク質は精子の鞭毛にも存在することがわかってい ます。
 ラジアルスポーク(radial spoke)は、中心対(central pair)からのシグナルをダイニン腕に伝える役割を果たしていると考えられています。このシグナルにはカルシウムイオンが関与しています。ラジアルス ポークは、20種類以上のタンパク質が分子集合してできている構造であり、先端をスポークヘッド、柄の部分をストークと呼んでいます。サブユニットの中に は、カルモジュリンやカルモジュリン結合ドメインを持つタンパク質、cAMP依存性プロテインキナーゼのアンカータンパク質など、シグナル伝達に関与する タンパク質が多く含まれています。中心対に接しているラジアルスポークの根本にあるダイニンの活性が制御されると考えられていますが、その分子メカニズム の詳細はまだわかっていません。

鞭毛運動の仕組み
 鞭毛運動は、サインカーブあるいは直線と円弧からなる波が鞭毛の基部から先端に伝播して行く現象です。 縄を手元で上下して作った振動波は減衰してしまいますが、鞭毛運動の波はほとんど減衰しません。すなわち、軸糸には単に根元で振動するのでなく、鞭毛全体 に波を発生させるメカニズムが備わっており、この点が優れています。
 運動のエネルギー源は、細胞質やミトコンドリアで合成されたATPです。精子の中にはmMオーダーのATP が含まれるが、これらはクレアチンキナーゼ(creatine kinase)によるATP再生系により濃度が保たれています。この再生系では、細胞内に蓄えられているクレアチンリン酸のリン酸基が、クレアチンキナー ゼというリン酸基転移酵素によりADPに付加され、呼吸系を介さないでATPを生成させることができます。ウニでは、ミトコンドリア部と鞭毛部で異なるク レアチンキナーゼからなるATP再生系が存在し、これらがホスホクレアチンシャトル  (phosphocreatine  shuttle)により相互に行ききしていることが知られています。すなわち、ミトコンドリアで生成したクレアチンリン酸が鞭毛に運ばれ、そこで鞭毛に存 在するクレアチンキナーゼの働きによりADPからATPが生成し、ほぼ一様のATP濃度が保たれているようです。ホ乳類では、鞭毛にこのようなクレアチン シャトルが存在しません。鞭毛では、ミトコンドリアによるATP生産よりも解糖系による生産の方が運動のエネルギー源として寄与していると考えられていま す。実際、いくつかの解糖系の酵素が、鞭毛の繊維鞘に結合して存在しています。
 最近、ダイニン重鎖が持つ特性、すなわち6つのAAAドメインが協調して機能し、力を発生していること が明らかにされました。軸糸内の微小管滑り出し運動やトリトンモデルを用いた実験では、高濃度のATP存在下での運動にはADPが必要であることが示され ています。従って、ATP代謝によって生じたADPを始めとする代謝産物によるヌクレオチド平衡も鞭毛内で重要な因子であると言えます。
 鞭毛運動が、ATPをエネルギー源として軸糸構造によって起こされることは、グリセリン筋実験と同様 に、グリセリンを用いてHoffmann-Berling(1955年)により示されました。その後、細胞膜の除去に非イオン性の界面活性剤である Triton-X100を用いることにより、ATPによる再活性化がより効率よく起こることがGibbons and Gibbons(1972年)により示されました。このトリトンモデル(Triton model)は、現在でも、ATPやイオン、抗体などの影響を調べる実験など、多くの鞭毛運動の研究に用いられています。
 鞭毛運動が、筋肉のような収縮運動でなく、微小管の滑り運動(sliding)によって 起こることは、Satir(1965年)による電子顕微鏡観察、Summers and Gibbons(1971年)の軸糸からのダブレット微小管の滑り運動の観察によって確かめられました。特に後者は、軸糸のダイニン腕以外の構造をトリプ シンで消化し、そこにATPを加えることにより、鞭毛軸糸から微小管が滑り出してくる様子を直接観察したものです。このsliding disintegrationの実験系には、トリプシン以外に、より限定的に抵抗構造を消化するエラスターゼも用いられ、軸糸内のダイニンの活性を調べる 実験でよく用いられています。また、精製したダイニンをスライドグラス上にはりつけ、そこにブタやウシの脳から精製したシングレット微小管を加えて滑り運 動を見るin vitro motilityアッセイ系も、他の成分を考慮することなく各ダイニンの特性をクリアーに調べることが可能であるため、やはり研究によく用いられています。
 ダブレット微小管には、外腕と内腕が結合しています。ウニ精子鞭毛の外腕を除去すると、波打ちの振動数 が半分になることから、外腕は鞭毛の振動数の増加、精子の場合には運動のスピードや推進力に重要であると考えられます。また、クラミドモナス鞭毛を用いた 神谷らの研究により、内腕の一部がなくなると波の形成や伝播が異常になることから、鞭毛波に形成や伝播に内腕が重要であると考えられます。これは精子鞭毛 においても同様であると考えられます。

屈曲の生成 
軸糸の中でダイニンにより微小管の間に滑り運動が起き、これにより屈曲が形成されていると考えられます。滑り合う微小管の一部に抵抗構造、すなわち滑らない場所があると、屈曲(bend)が生じ、これが鞭毛に沿って一定間隔で生じれば、波打ち運動が起こることになると予想される。その場合、滑り運動が大きいほど、屈曲は大きくなる。屈曲角の変化と単位時間あたりに伝播する波の数(振動数、beat frequency)は、ダイニンの活性を直接反映していると考えられ、鞭毛運動の解析において重要です。
 ダイニンは9本のダブレット微小管にすべて結合しているが、これらが無秩序に力を発生したのでは、屈曲 の形成や伝播は起こりません。9本のうちのいずれかの微小管に結合しているダイニンが活性化される仕組みが必要です。また、ダイニンはそれ自体が微小管の マイナス方向に動くモーターであり、一方向にしか動くことができません。従って、軸糸の断面の中で、反対側に位置する微小管セットどうしが、屈曲ごとに滑 る方向を周期的に変えていかなければ、屈曲の伝播は起こらないことになります。
 多くの精子鞭毛は平面波あるいはそれに近い波を伝えますが、中心小管を欠く鞭毛をもつウナギやアジア産 カブトガニの精子はらせん状の波を伝播させます。また、ラジアルスポークに対する抗体をウニ精子のトリトンモデルに作用させると、平面波がらせん波に変化 します。以上のことから、ラジアルスポーク/中心対小管は平面波の生成に関わっていると考えられます。現在のところ、ラジアルスポーク/中心対小管との位 置関係と鞭毛の屈曲の状態が、活性化ダイニンの決定に重要であることがわかっています。さまざまな実験から、中心対小管をはさんだ両脇の周辺微小管のダイ ニンが活性化されることが示されました。すなわち、ダブレット微小管の3番側と7番側のダイニンは他のダイニンと異なり、活性制御を受けることになりま す。
 屈曲が形成され伝播する際、微小管のずれる方向は、屈曲を境にして逆転します。逆転のスイッチ機構の詳 細は明らかでありませんが、カルシウム依存的な中心対小管を介したダイニンの調節が重要であることがわかっています。また、真行寺らによって、屈曲の力の フィードバックが重要であることがマイクロマニピュレーションを用いた巧みな実験によって示されています。
  鞭毛に沿って生じる屈曲のうち、その角度が大きい方をprincipal bend、小さい方をreverse bendと呼びます。受精の際に、精子は運動の方向性を変えますが、これは精子が卵に近づいていく(走化性)ために重要である。上記の2つの屈曲がほぼ対称(symmetric)な波は対称波と呼び、対称波を打っている精子は直進運動をする。それに対し、reverse bendがprincipal bendに比べて極端に小さくなると、波は非対称(asymmetric) となります。この場合、精子は回転運動を行なうようになる(図8)。このreverse bendの抑制は、3番のダイニンが抑制され形成されるreverse bendが小さくなることにより起こると考えられています。この屈曲の抑制にはカルシウムが関与していることが知られています。

 

精子の運動性の変化
 受精前の精子はさまざまな運動性の変化を見せます。精子形成が完了し、形態的にも完成し、すべてのタンパク質成分が揃っていても、精子は運動しません。精子は周りの環境からの刺激を受けて運動を開始し、さらに卵由来の物質により活性化され、卵に近づいていきます。
 体外受精をする生物の精子は、放精された場のさまざまな環境要因にさらされます。これらの要因を利用して、精子は運動性を変化させます。精巣内で精子は運動性を示しませんが、外側に放出された瞬間運動を開始します。これを一般に運動開始(initiation) と呼んでいる。例えば、海産魚の多くは、体内の浸透圧よりも海水の浸透圧が高いことを利用して、浸透圧の上昇を引き金に運動を開始し、逆に淡水魚は低浸透 圧が運動開始の引き金になります。ティラピア(カワスズメダイ)のように、生息環境の浸透圧の変化を受け、精子運動開始の浸透圧依存性を変化させる魚類も います。サケ科魚類の精子は、浸透圧というよりは、淡水中に放精され、外液のカリウムイオンが減少することが引き金になり運動を開始します。その他、精子 運動開始の引き金として、カルシウムイオン、ナトリウムイオン、重炭酸イオン(二酸化炭素)、pHなどのイオンの他、体温(鳥類)や卵ジェリー物質(両生 類)なども知られています。さらに、精子の運動をさらに活性化する物質が卵から放出され、これらが精子に作用すると、振動数や振幅、運動時間の増加が起こ ります。これらの現象は、運動の活性化(activation)と呼ばれている。精子運動の活性化を引き起こす物質としては、脂質アルコール(サンゴ)、低分子ペプチド(ウニ、ヒトデ、コウイカ、ニシン)、硫酸ステロイド(ホヤ)、タンパク質(ニシン)などが知られています。
 卵からは精子の運動活性化を促すとともに、精子を引きつける物質が放出されています。精子が何らかの物質的刺激を受けて卵に向かって運動することを走化性(chemotaxis)と呼び、それを引き起こす物質を走化性物質(chemoattractant)とよびます。ホヤなどのように、活性化と走化性を引き起こす物質が同一物質である場合もあります。
 ホ乳類の場合、精子は精巣上体という通路に排精されます。精巣上体に排精された時点(精巣上体頭部)で精子はほとんど運動性を持ちませんが、精巣上体尾部に移動する間に運動能が獲得されます。これを精子成熟(maturation)と呼んでいます。ホ乳類の精子は雌の生殖器内に射精された後、さらに運動性が高まります。この時の精子鞭毛は中片部においても振幅が大きく、波は三次元的です。この運動性の変化を超活性化(hyperactivation)と呼び、先体反応とともに、精子の受精能獲得(capacitation) の指標とされています。これら一連の運動性の変化には、精子外に含まれるカリウムイオン、重炭酸イオン、カルシウムイオン、亜鉛イオンなどの各種イオン や、精子細胞膜からのコレステロールの減少などが関与していると考えられています。BSA(ウシ血清アルブミン)が受精能獲得に効果があるのは、精子細胞 膜のコレステロールと結合し、コレステロールを抜き取ってしまうことによります。ホ乳類の場合、実験的に重炭酸イオンとカルシウム、BSAを溶液入れるこ とにより、試験管内で受精能獲得を起こすことが可能です。

 

鞭毛運動活性化のメカニズム
 精子の運動開始および活性化は、ホ乳類のように多少時間を有するものもありますが、多くの場合はミリ秒 レベルで起こる極めて早い反応です。完成された精子内で遺伝子発現はほとんどなく、これらの早い反応は、すでに精子に存在するタンパク質が細胞内シグナル 伝達機構によって変化して起こる過程であると考えられます。
 これまでの研究成果をおおまかにまとめますと、浸透圧変化などの物理的刺激あるいは卵由来の精子活性化物質のレセプターへの結合が引き金となり、イオンチャネルを介したイオンの出入りが起き、その結果、細胞膜電位(membrane potential)が変化する。さらに、膜電位の変化は、アデニル酸シクラーゼ(adenylyl cyclase)の活性化やカルシウムチャネルの活性化によるセカンドメッセンジャーの増加を引き起こし、最終的にそれらによる軸糸の活性化が起こるとい うものです。一部の魚類の精子ではセカンドメッセンジャーを介さずに、細胞内特定のイオンの増加、イオン強度の増加、重炭酸イオンの低下などの要因が直接 軸糸の活性化に働く場合もあるようです。

 ウニの場合、大竹による卵ジェリー層内の精子活性化作用の発見に端を発し、その後、Garbersや鈴 木らによって精子活性化物質が単離されました。単離された精子活性化ペプチド(スペラクトあるいはSAP-1)は、精子細胞膜にある受容体であるグアニル 酸シクラーゼに結合することにより、細胞内にcGMPを生成させます。cGMPはcGMP-activated K+ channelに結合し、カリウムイオンの流出を起こします。その結果、細胞膜は過分極し、これが引き金となり細胞内のcAMPおよびカルシウムイオンの上昇を 引き起こします。ヒトデにも同様の機構が存在します。マウスでは、cAMPによって活性化されるカルシウムチャネルが見つかっており、精子運動活性化や走 化性に関与していると考えられています。サケ科魚類の場合には、放精の際に外液のカリウムイオンが減少することにより、細胞膜の過分極が起こりますが、こ れがアデニル酸シクラーゼの活性化とcAMPの合成、および細胞内カルシウムイオンの増加を引き起こし、軸糸が活性化されます。
 ホヤの場合、精子活性化と走化性が同一物質(硫酸ステロイド、sperm-activating and –attracting factor; SAAF)によって引き起こされます。SAAFは未同定のレセプターにおそらく結合し、その後、細胞膜のT型カルシウムチャネルを活性化し、細胞内のカル シウムイオンを上昇させます。カルシウムイオンは、カルモジュリン依存性キナーゼを介してカリウムチャネルを活性化し、カリウムイオンの流出と細胞膜の過 分極を引き起こします。細胞膜の過分極によりアデニル酸シクラーゼが活性化され、cAMPが合成されて、軸糸の活性化につながると考えられています。以上 の一連の反応には、細胞膜マイクロドメイン、すなわち脂質ラフト(lipid raft)と呼ばれている構造が重要であることがわかってきました。この構造を壊してしまうと、SAAFによる精子運動の活性化は起こりませんが、細胞内 のcAMPの量をホスホジエステラーゼの阻害剤であるテオフィリンにより人為的に上昇させると、ラフトの破壊剤があっても精子の運動は活性化します。すな わち、脂質ラフトには、SAAFを受容してからcAMP合成に至る一連の因子が集積していると考えられます。
 cAMPの合成を行なうアデニル酸シクラーゼがいかに精子内で活性化されるかについてはよくわかってい ません。精子の運動が活性化される時のcAMPの増加量は一過的であることから、cAMPを分解する酵素であるホスホジエステラーゼ (phosphodiesterase)が常時働いていて、cAMP量を低く保っており、これを上回るアデニル酸シクラーゼの活性上昇が起こる考えること ができます。アデニル酸シクラーゼは、ホ乳類において2種類存在することが知られています。一つは、Gタンパク質によって制御される膜貫通型のアデニリル サイクレース(transmembrane adenylyl cyclase; tmAC)、もう一つは、重炭酸イオンとカルシウムによって制御を受ける可溶性アデニリルサイクレース(soluble adenylyl cyclase; sAC)です。マウスにおいて、sACをノックアウトすると精子は運動性を持たなくなることから、運動の活性化にはsACが必須であると考えられています が、詳細はまだわかっていません。
 一連のシグナル伝達を経て、最終的に運動装置である軸糸が活性化されます。この過程には、カルシウムイオンやcAMPといったセカンドメッセンジャーを介して、軸糸の特定のタンパク質が変化し活性化されることが重要です。
 サケ科魚類の精子でcAMP依存的に見られるタンパク質リン酸化を調べたところ、3種類のタンパク質のリン酸化(protein phosphorylation)が特に上昇することがわかりました。一つは、cAMP依存性プロテインキナーゼ(cAMP-dependent protein kinase; PKA)の調節サブユニットRIIのリン酸化です。これによりPKAから調節サブユニットがはずれ、触媒サブユニットが活性化されます。ただし、サケ科魚 類の場合、PKAの活性化には、高分子プロテアーゼ複合体であるプロテアソームも関与しているようです。PKA-RIIの自己リン酸化以外に、PKA依存 的に分子量21,000のタンパク質がリン酸化されますが、これは外腕ダイニン軽鎖の一つであることがわかっています。この軽鎖は、マウスにおける伝達率 歪曲の原因であるt-遺伝子複合体にコードされ、精巣で発現している遺伝子の産物の一つであるTctex2と相同性を持っています。同様のダイニン軽鎖 は、ウニやホヤでも運動活性化の時にリン酸化され、多くの生物に共通した機構であると考えられますが、軽鎖にリン酸化がダイニンの分子モーター活性にいか に影響するのかについては、まだわかっていません。サケ科魚類では、PKAによってタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)が活性化され、その結果、分子量 15,000のタンパク質のチロシンリン酸化が起こります。このタンパク質の正体は不明です。ホ乳類でもPKAの下流にPTKが関与しています。また、ホ 乳類の受精能獲得の時には、多種類のタンパク質にチロシンリン酸化が起こりますが、これらの中には分子シャペロンであるp97やA-キナーゼ(PKA)ア ンカータンパク質(AKAP)、いくつかの繊維鞘タンパク質などが含まれます。しかし、これらがいかに精子の運動性に関与しているのかは明らかでありませ ん。
 ホヤでは精子運動の活性化時にcAMP依存的にダイニン軽鎖と26kDaタンパク質のリン酸化が特に上 昇します。カタユウレイボヤではゲノム構造が明らかにされ、多くのタンパク質を質量分析計で容易に同定するプロテオミクスという手段を使うことができま す。この手法を用いて、ホヤ精子の運動活性化前後のタンパク質を比較したところ、外腕ダイニン軽鎖以外に、外腕中間鎖IC2、内腕中間鎖IC116、ラジ アルスポークタンパク質LRR37など、多くの軸糸タンパク質が運動活性化時に変化することがわかりました。このうち、外腕中間鎖と内腕中間鎖は脱リン酸 化を受けるらしく、外腕ダイニンの軽鎖と同様に、ダイニンの活性制御に直接関わっている可能性があります。また、ラジアルスポークのタンパク質の変化は、 運動活性化時に、スポーク機能の変化が起こることを示しています。スポークのダイニンの活性調節機能も精子運動活性化の際に調節を受ける可能性がありま す。実際、クラミドモナスの鞭毛では、中心対/ラジアルスポークからの何らかのシグナルが、内腕中間鎖IC138のリン酸化/脱リン酸化を引き起こすと考 えられています。ホヤのプロテオミクス解析では、軸糸タンパク質以外にも、精子運動活性化時に14-3-3タンパク質をはじめ、多くのタンパク質の変化が 起こることが明らかにされており、運動活性化のメカニズムを詳細に研究する上で、突破口となると期待されます。

 

卵への走化性のメカニズム
 走化性は、卵から放出される物質によって、精子が卵のある方向に向かって運動することです。実際には。 卵の走化性物質放出点を中心に放射状に走化性物質の濃度勾配が存在し、精子はその濃度勾配を感知して卵に近づいてゆきます。走化性物質の放出場所は、卵自 身である場合、卵自身であるが、卵の植物極側など特定箇所である場合、卵以外の卵外被(付属細胞やマトリクス)である場合など、生物によって異なります。 例えば、ホヤの場合は卵の植物局側から、ウニの場合には卵の周りのジェリー層から、クラゲの場合には、cupule と呼ばれる卵の付属器官から放出されます。また、精子は進む方向を少しずつ変えながら近づいて行く場合や、回転運動、正確には直線運動と回転ターンを組み 合わせながら近づいていく場合があります。

 走化性物質は生物によって様々で、褐藻類の場合には、低分子有機化合物、ワラビではリンゴ酸、ウニ、ヒ トデ、コウイカ、ニシンでは低分子量のペプチド、クラゲやカエルではタンパク質、ホヤでは硫酸ステロイドが走化性物質として同定されています。ホ乳類にお いては、プロゲステロン、心房性ナトリウム利尿ペプチド、ある種のにおい物質が候補としてあげられていますが、その実態については、物質が完全に同定され ていないことや走化性の定量的な解析がなされていないことから、いまだ完全な解答は得られていません。

 走化性は対称波と非対称波が、走化性物質の濃度勾配により巧妙に組み合わさり、走化性物質の濃い方向に 精子が向かって行く現象です。ウニのトリトンモデルを用いた実験により、精子内のカルシウム濃度が低い場合には鞭毛波は対称波となり、直進運動に近い運動 を示すのに対し、高い場合には非対称となり、円運動を示すことがわかっています。従って、走化性のメカニズムとして、細胞内カルシウムの上昇を引き起こす分子機構と、細胞内カルシウムの増加により非対称鞭毛波が形成される分子機構を知ることが重要になります。

 細胞内カルシウムの上昇の機構は生物種において様々です。Arbasia属のウニ精子の場合には、走化 性ペプチドであるレザクトがまず細胞膜上の受容体であるグアニリルサイクレースに結合し、これを活性化します。その結果合成されたcGMPは、cGMP- gated カリウムチャネルやNa+/H+ exchangerの活性化を介して、何らかの機構でアデニル酸シクラーゼを活性化し、cAMPの上昇を引き起こします。cAMPはcAMP-gated カルシウムチャネルを活性化し、細胞内カルシウムが上昇します。ホヤの場合には、走化性物質SAAFの受容体への結合後の分子機構の詳細はわかりません が、細胞内カルシウムの上昇には細胞外のカルシウムが必要であること、関与するカルシウムチャネルがstore-operatedカルシウムチャネルらし いこと、細胞内cAMPの上昇は走化性の機構には直接関与しないことなどがわかっています。ホ乳類の場合は、7回膜貫通型でGタンパク質共役型の嗅覚受容 体(olfactory receptor)であるhOR17-4(ヒト)やMOR23(マウス)が関与していると考えられています。走化性物質がこれらの嗅覚受容体に結合する と、Gタンパク質を介してアデニル酸シクラーゼが活性化され、生成したcAMPがチャネルに作用し、細胞内カルシウムの上昇が起こります。実際、合成され たオドラントにより走化性が起こることが確かめられていますが、卵あるいは雌性生殖期内でオドラントが分泌され、走化性を起こしているかどうかは不明で す。

 細胞内カルシウムが上昇すると、鞭毛波の非対称化が起こります。これは、reverse bend側のダイニン活性の抑制により滑り運動が抑制されることが原因です。カルシウムにより、いかにしてダイニン活性が制御されているのであろうか。前 述のとおり、ダイニンの活性はダイニンに含まれるサブユニットにより制御を受けます。この制御にカルモジュリンが関与するといった報告があったが、直接カ ルモジュリンがダイニンに結合していることを示したデータはありません。内腕ダイニンには構造的にカルモジュリンに近いセントリン(centrin)とい うカルシウム結合タンパク質が存在しています。また、外腕ダイニンには、神経カルシウムセンサーファミリーに属するカラクシン(calaxin)が結合し ていることを我々は最近示しました。これらのカルシウム結合タンパク質は、細胞内カルシウムイオンの上昇によりカルシウムと結合し、直接ダイニンの活性を 制御している可能性があります。

 一方、ダイニン中間鎖のリン酸化・脱リン酸化は中心対/ラジアルスポークからのシグナルにより制御され ています。実際、カルモジュリンなどカルシウム結合モチーフEF-handを含む複数のタンパク質や、カルシウム/カルモジュリン結合モチーフであるIQ モチーフや1-18-14モチーフを含むタンパク質がラジアルスポークのサブユニットとして含まれています。これらのタンパク質がカルシウムと結合するこ とにより、ラジアルスポークの機能が変化し、その結果、接するダイニンの活性を調節している可能性があります。

 もっとも重要な問題は、精子が卵にたどり着くときに、経時的に細胞内カルシウム濃度を変えて、それに迅 速に対応して巧みに鞭毛波の対称性を変えることのできる機構です。カルシウムイメージングにより、ホヤ精子が走化性時にターンする際に一過的な精子内カル シウム上昇が起こることが示されています。細胞内カルシウム濃度の変動のメカニズム、カルシウムによるダイニンの調節機構をさらに詳細に知るとともに、因 子が明らかになった際には、シミュレーションにより理論的に精子が卵にたどり着くことを再現することも、今後重要になってくるでしょう。

 

 精子は個体を唯一離れ、環境をうまく利用しながら運動性を変化させ、自らのサイズと比較すると遥かに遠 い長旅をする細胞です。精子の運動を調べることは、「卵にたどり着く」ために進化の過程の受精環境の変動や生き残り戦略を知ることにつながります。結果的 に変わってきた精子の形態もまた興味深いですが、その分子機構の変遷も面白い。現存の生物の精子の運動と分子構成を知ることは、「小さい精子」が研究対象 ではありますが、こうした進化の物語の一端を知ることができる「壮大なロマン」を感じます。

補足1 生物の生殖様式と精子運動 精子が卵にたどり着く過程を考える上で、生物の生殖様式も大切である。ほとんどの生物で雄と雌の生殖期 は同時期であり、放精、射精された精子は卵に受精する。まれに、イモリのように、精子を雌性生殖期の中に一定期間貯蔵し、体温の上昇など、外部因子の変化 が刺激となって卵に受精するケースも存在する。このような場合には、雌性生殖期内で精子の運動を抑制する仕組みが存在する。また、ホヤやイガイなど固着生 活をする生物では、放精と放卵が同時に起こることが受精率の向上のために重要である。海産生物では、一般に潮汐や光、海水温など、物理的な環境要因を利用 して、配偶子放出の同時性を可能にしている。また、中枢神経が発達した生物には、いわゆる生殖行動により配偶子の出会いの効率を高めている。一方、他の個 体の精子が障壁になる場合がある。精巣で造られる精子には二型が存在し、正常の精子の他に、それらとは形態もDNA量も異なる精子が存在する。これらは異 型精子と呼ばれている。受精の際、複数の雄から放出された精子の中で、自らの精子が受精にあずかれるように、異型精子が他の個体の精子の運動を阻害した り、物理的な障壁を与える例がヨコスジカジカで知られている(早川・中島、2000)。これらの、いわゆる「精子競争」の存在については、更なる実験的な 証明が必要であるが、「精子が卵にたどり着く」ための重要な障壁であり戦略であることは言うまでもない。

補足2 鞭毛と繊毛 精子鞭毛には、細胞外のシグナルを受容し、細胞内シグナル伝達機構を介して、刺激を軸糸に迅速に伝える ための様々な因子が集積している。これは「精子が卵にたどり着く」ための運動性の変化に極めて重要である。細胞の毛として、体内にはさまざまな繊毛が存在 する。鞭毛と繊毛は、内部の軸糸構造はほとんど同じであるが、それらの長さや運動様式などから区別されている。両者は、波打ち運動の装置として重要である が、運動性を示さない繊毛(不動繊毛)も含め、細胞外シグナルの受容と細胞応答機構に関して優れている点で共通している。最近、特に注目を集めている一次 繊毛には、多くのシグナル因子が集中している。これらは視覚、嗅覚、メカノセンシング、細胞成長、細胞分化などのさまざまな生命現象において極めて重要な 因子であり、これらの異常は深刻な疾患を引き起こす。繊毛形成に異常が起こっても、同様の疾患が起こることから、この構造がシグナル伝達において重要な役 割を果たしていることがわかる。また、一次繊毛異常(Primary cilia dyskinesia; PCD)と男性不妊がリンクして症候群を形成している例などから、鞭毛と繊毛の共通機能が伺える。このように、鞭毛と繊毛は、細胞内外や細胞間の迅速なシ グナル伝達に特化したアンテナであると言えよう(Singla and Reiter, 2006)。

以上は、共立出版「動物の動きの秘密にせまる」(日本比較生理生化学会編)(2009)に執筆した内容に基づいています。

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